ギョメムラ

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『予想どおりに不合理』な映画3選

 

誰かに映画を勧めるのは簡単ではありません。人によって価値観は違い、自分が面白いと思ったからって他人もそう感じるとは限らないからです。社会で大絶賛されている作品でも自分にはハマらなかったなんてアクシデントは往々にして起こり得ます。

 

ただ、いくら人間が多様性のある生き物だとしても共通点が全くないわけではありません。人類普遍の「あるある」をしっかり押さえた映画を紹介すれば大事故を起こすことはないでしょう。個性を出したいからって変な映画を勧めるのではなく、誰が見ても少しは共感できるであろう作品をチョイスできるのが大人というものです。

 

では、その「あるある」とは何なのか?

この疑問を行動経済学の観点から読み解いている書籍が『不合理だからうまくいく』です。

 

 

著者のダン・アリエリー曰く、経済学は「人はだれもがみな自分の利益のためになる決定しかしない」という前提のもと構築されています。しかし人間がそんなに合理的に動ける生き物ならば、なぜ見もしないサブスクの契約を更新し続けてしまうのでしょうか?なぜいくらお金があっても自分を不幸だと感じてしまうのでしょうか? 

 

このように、経済理論だけでは掬いきれない人間の不合理性に注目したのが行動経済学です。理論より先に徹底して人間の”行動”をデータ化し、不合理なのにパターン化している習性をあぶり出す。それを組織運営やマーケティングに応用していく。つまり、人間社会の「あるある」を本気で追い求める学問なのです。

 

話を映画に戻して、ここからは書籍内で提示された人間の不合理性をとことん具現化している作品を3つ紹介します。もちろん共感だけが面白さの全てだとは思いませんが、少なくとも「⭐︎1 登場人物の言動が全く理解できない」といったレビューを書かれることはないはずです。

 

 

①アイ・イン・ザ・スカイ

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この作品は「安全地帯からただ指示を送るだけの人たち」に焦点を当てた戦争映画です。

ドローンから送られる情報を頼りにテロリストの爆撃を狙う司令官一同。これが成功しなければ推定80人の命が奪われる算段です。彼らはアジトの場所を突き止めると迷わずミサイルの発射準備を開始。しかし、その殺傷圏内でのん気にパンを売りはじめる少女が現れます。

ここでミサイルを撃たなければほぼ確実に自爆テロが起き多くの命が失われます。一方ミサイルを撃てばほぼ確実に目の前で1人の少女の命が奪われます。

ロッコ問題みたいな話ですが、ここで重要なのは命を奪う対象が目に見えているかどうかです。

 

1人の死は悲劇だが、1万人の死は統計学上の数字に過ぎない

顔のない集団を前にしても私達は行動を起こさない。一人ひとりが相手だからこそ私達は行動を起こす。

 

似た内容の発言ですが、前者はスターリン、後者はマザーテレサの言葉です。

ペンシルベニア大学で行われた実験では、被験者集団の半分には貧困地帯の状況を表すデータが、もう半分にはその地域に住む1人の少女の写真が渡されました。「この地域にいくら寄付したいか」訪ねた時、顔写真を見せられた集団のほうが2倍高い値段を提示したようです。

 

合理的に考えれば1人の少女の命より80人の市民の命を救った方が死傷者数は抑えられるでしょう。ただ
・犠牲者との距離感が近い
・予測される惨状が鮮明にイメージできる
・自分の行動によって誰かが助けられる実感がある
ときに限り人間の理性は崩壊してしまうのです。

 

日本でもたった1人の子供の命を救うために何億もの寄付が集まったりします。一見違和感のある光景ですが、行動経済学的な視点で考えれば予想どおりの展開なのです。逆に具体的な被害者がイメージしづらい環境問題などに関して、人間は異常なほど危機意識を持てないでいます。

 

例に漏れず『アイ・イン・ザ・スカイ』の司令官たちは少女と市民どっちを救うかを迷いまくり、汗かきまくり、揉めまくり、決定権をたらい回しまくります。なんとそれだけで約100分間の上映時間がほぼ終わってしまいます。しかし緊迫感ある演出のおかげで決して単調にはなっておらず、人間の感情の難しさを感じていたらあっという間に時間が経つような映画に仕上がっていると感じました。

 

②悪魔を見た 

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 「たらちねの」と言われれば「母」であるように、「復讐は」と言われれば「何も産まない」が続くでしょう。生産性がないと分かっていてもついやってしまう復讐。まさに人間の不合理性が現れている行為です。

 

バイオレンス映画大国の韓国が生んだ『悪魔を見た』では、復讐に取り憑かれた主人公が理性を失い悪魔化していく過程が丁寧に描かれています。

婚約者をバラバラ殺人によって亡くした警察官。上司に休暇を申し付け自力で犯人の居場所を暴き出します。案の定ボコボコにタコ殴りして犯人の殺害を試みる……かと思いきや、主人公は相手が死ぬ一歩手前で攻撃を止めてしまいます。ここで死なれたらもう復讐できないからですサイコパステストの答えみたいですね。殺すと見せかけてギリギリで生かす、そんな緊張と解放のスパイラルが延々と続いていきます。

 

スイスの研究チームは「信頼ゲーム」の実験を通して人間の報復欲を証明しました。ルールがややこしすぎるのですが、要するに、AとBの2人が信頼し合えば両者とも得ができるけどBが裏切れば利益を独り占めできる。さあBはどっちを選ぶ!?というゲームです。詳しく知りたい人はこれ見てください。

 

www.teamspirit.co.jp

 

ここで問題になるのは「裏切り」が発生したときのAの反応です。研究チームはゲームに「Aは裏切られた場合、1ドル払うごとにBの2ドルを失わせられる(奪えるわけではない)」ルールを追加しました。身銭を切れば相手を痛い目に遭わせられるのです。まさに悪魔のようなルールですが、報復の機会を与えられた被験者の多くが厳しく相手を罰していました。しかもその瞬間に脳の喜びを感じる部位が活発に反応していたのです。

 

『悪魔を見た』によって主人公の壮絶な復讐劇を追体験した時、確かに自分も快楽に似た感情を抱きました。ただそれは瞬間的なもので、映画が終われば恐ろしいほどの虚無感が襲いかかってきます。厳密に言えば、復讐は一瞬の喜びと長期間後を引くむなしさを生み出すのです。

感情のジェットコースターとクリエイティブなグロが楽しめる『悪魔を見た』。18禁ですがかなり見ごたえのある作品だと思います。

 

③ターミナル

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ジョン・F・ケネディ国際空港の入国審査にやってきた主人公。しかし、母国でクーデターが起きたためパスポートが無効になっていたと発覚します。米国にも入れず母国にも帰れなくなった主人公。仕方なく空港内での生活を始めます。

弘中アナが手作りボードで解説してそうな話ですが、この映画は実際にフランスの空港で18年間生活したイラン人の日記を元に制作されました。彼は空港生活で1度は精神を病んだものの、徐々に慣れて空港内でアルバイトを行うようになります。

この話から読み取れるのは人間の順応する力です。

 

半身不随になってから1年が経った人、宝くじ当選から1年が経った人、目立った不幸も幸福も経験していない普通の人の3グループに生活全般に対する満足度を聞いた結果、答えに大きな差は見られなかったという研究があります。もちろん半身不随になりたての人は悲しみを感じていたでしょうし、宝くじに当たりたての人は喜びを感じていたでしょう。しかし、1年もすれば感情は平坦化していくのです。

 

わたしたちは未来を想像するのは得意でも、その未来に自分がどのように順応するかは、予想できないのだ。

『不合理だからうまくいく』P229

人はいいことが起きても結局そんな幸せになりません。
人は悪いことが起きても結局そんな不幸になりません。

ただ、幸せに関してはときおり中断を挟むことでその順応を遅らせられるという研究結果も出ています。欲しいものは一気に買うより少しずつ買った方が高い満足度を得られるのです。幸せは途切れながらの方が続くのです。

現実がどうだったかはわかりませんが、映画『ターミナル』の主人公はハプニングだらけの日常の中でまれに味方になってくれるような人間を見つけていました。空港での生活という地獄には順応しつつ、「人との出会い」という喜びにはありがたさを感じ続ける日々を送れていたのです。

もちろん主人公はあるきっかけで空港からの脱出に成功しますが、その時観客も登場人物も少し寂しさを覚えます。主人公に関わる多くの人間がこの異常な状況に順応していたのです。

前に挙げた2作とは違い全てがハートフルにまとめられた作品なので、是非この心地よい順応を感じてみてください。

 

 

 

 

 

 

最後に、『不合理だからうまくいく』の前作にあたる『予想どおりに不合理』からもうひとつ人間の興味深い特性を紹介します。

 ある大学のコーヒーショップで、コーヒーに入れる香辛料の容器を高級感のあるデザインに変えただけで満足度が上がったという研究がありました。つまり、前もって「これは高級だ」と信じて飲んだコーヒーはそのまま高級な味がするのです。

この現象を映画に応用するなら、心から「面白い」と信じて見た映画はそのまま面白く感じられると言えます、。コンテンツを勧めるにあたって肝心なのは作品のチョイスではなく、とにかく相手に「あの作品は面白い」と刷り込むことなのです。

 

そう考えると、僕がいちいち他人の価値観とか行動経済学とか気にしていた時間は無駄だったということになってしまいます。こんな記事を読んでしまったあなたの時間も無駄です。もっと言えばそもそも映画なんて時間の無駄です。しかし、無駄なことをしてこそ人間なので仕方ないですね。これからも不合理に生きていきましょう。