ギョメムラ

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『パラサイト』とブルーハーツが映す"パーティー"

 

※映画『パラサイト』の完全なるネタバレを含みます

 

 『情熱の薔薇』や『TRAIN-TRAIN』で有名なブルーハーツ。彼らのシングル曲の中で最も売れていない曲が『パーティー』です。

 

 

 

僕のSOSが 君に届かない

交差点は今 スクランブルの

暗号文で埋め尽くされた

 

タイトルからは想像もできない暗い歌い出し。その後すぐサビに入ると

パーティー パーティー にぎやかなパーティー

 
引用するのも恥ずかしくなるレベルのシンプルすぎる歌詞が続きます。バックでは「良い方のマーシー」でおなじみ真島昌利氏が「パーパパパパパ♪」と楽しげに歌うコーラスが繰り返されます。

一瞬さっきの不穏さはどこ行った?と混乱状態に陥りますが、きっとこのサビの部分は盛大な皮肉なのでしょう。偉い奴らがバカみたいなことでどんちゃん騒ぎしているせいで、声なき者の声はどこにも届かないんだぞ。そんなメッセージをあえてバカみたいな言葉に乗せて伝えているのではないでしょうか。確かに現代人はあまりの忙しさに小さな声に耳を傾けない傾向もあります。きっとこの記事も太字の部分しか読まれてないことでしょう。

小さい声を覆い隠すノイズとしてパーティーが用いられる作品といえば、2020年度アカデミー作品賞を受賞した『パラサイト』が思い起こされます。

 

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半地下の物件に住む貧乏な家族が家庭教師なり家政婦なりで金持ち家族の家へ侵入。身分を偽ることで”寄生”を計画するこの映画。作品内では、物語が動く瞬間に必ずパーティーと呼べるシーンが登場します。

1回目は半地下家族による宴。
宿主がキャンプへ出かけているのを良いことに、金持ち家族への完全なる寄生を祝います。人んちの酒で豪遊する一同でしたが、このシーンが大きなサプライズの前触れとなっています。和やかな雰囲気を切り裂くインターホン。ついにあの”全地下夫妻”の存在が明らかにされます。さらに大雨によって金持ち家族の帰宅が早まり、豪邸は一瞬にしてパニックハウスへ変貌を遂げます。

弱いものがまた夕暮れさらに弱いものを叩く争いの末、全地下夫妻は再び地下に監禁されます。乱闘と部屋の片付けとジャージャー麺の調理を同時に済ます大荒業を達成した半地下家族。家政婦の母を除く全員が机の下に隠れてギリギリ一件落着となりました。

乱闘の最中階段から蹴落とされ、全地下の妻は死亡。夫は地下にあった電灯のスイッチからモールス信号で”SOS”のサインを送ります。


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ボーイスカウト経験者の金持ち末っ子ダソン君のみこのメッセージに気づきますが、”一線を超える”ことを恐れ無視します。

 

2回目はそんなダソン君の誕生日パーティー

 

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広大な庭園。オペラの旋律。参加者として選ばれた富裕層たちの談笑。その裏でダソン君へのサプライズ企画が進行中でしたが、ここでもそんな茶番どうでもよくなるレベルのビッグサプライズが巻き起こります。妻を亡くした全地下夫が復讐のため地上に這い上がってきたのです。とはいえ、富豪たちはパーティーに夢中で男の存在には一切気づきません。男はパーティー会場のど真ん中で半地下家族の姉を殺害します。

悲鳴にあふれ、パステルカラーに血の色が混じり、全ての者が同じ立ち位置に立つ。真の意味で”にぎやかなパーティー”の完成です。

 

 

パーティーは見たくない現実から逃避して愉悦に浸る行為です。『パラサイト』においてのパーティーも、登場人物が何かを見失っている心理を映し出していたのではないでしょうか?その後に待ち受ける衝撃的な展開は、登場人物・観客の視線を無理やり目を背けていた対象へ誘導します。

全地下夫妻の存在は映画の中盤まで観客にもその存在が隠されていました。しかし、最初から彼らの放つメッセージは「伏線」として現れています。ここらへんは数多ある考察サイトが分析してくれているはずでしょう。重要なのは、同じ家に住む同じ人間の存在が誰の目から見ても”伏線”にしかならなかったことだと思います

様々なノイズが入り乱れるパーティーの中でも、自分に関連性の高いワードが発せられた時や好意を抱く人の発言は無意識に聞き取れてしまう現象があります。「カクテルパーティー効果」と呼ばれているそうです。全地下の存在は、たとえ映画という名のパーティーに夢中でも、格差社会に底がない事実を意識していれば気付けるトリックだったのではないでしょうか。

 

『パーティー』の歌詞には次のような一節があります。

 

本当は大きな声で 聞いてほしいのに

ため息だとか 舌打ちだとか

独り言の中に隠してる

 
「小さな声がかき消され」ていたのは半地下家族についても同様です。低層地帯の住民が深刻な豪雨被害に遭ったにもかかわらず、高台にある高級住宅街は全くのノーダメージ。優雅に誕生日パーティーの用意をする金持ち家族にいらだちを覚えつつ、半地下家族は引きつった笑顔で偽りの身分を演じ続けます。参加者の談笑もダソン君へのサプライズも結局は金持ちの内輪ノリにすぎませんでした。

「パーティーを楽しめるのはカースト上位の者のみ」。学生時代誰もが突きつけられる現実ですが、これが資本主義社会の縮図でもあります。もちろん内輪に入ることができればえも言われぬ喜びが待ち受けているのでしょう。半地下家族が1度目のパーティーを楽しめたのは、自分たちより豊かな金持ち家族が不在だったからです。その場においては自分たちがトップであり、その地位を守るため夫婦を地下室に監禁したのです。

 

 

 

昨今はパーティーができない時代が続いています。おかげでインドア派には意外と居心地のいい日々が続いています。しかし、パーティーが社会の縮図であったなら社会はパーティーの拡大図であるはずです。ポン・ジュノ監督と甲本ヒロト氏が編み出したトートロジーに則れば、今の生活を優雅に楽しめている人々は内輪の存在である可能性が高いのです。外側に意識を向ければ、聞こえもしなかった声が聞こえてくるかもしれません。

 

売り上げという意味で『パーティー』という名曲は大衆に届きませんでした。1993年の曲を2021年に宣伝してどうすんだと思われるかもしれませんが、この小さな声がどこかに届いていることを願います。